2010
09
17
ここ数年、幸運に恵まれていろんな夢が実を結んだ。
マイホームを手に入れたり、大きな演奏会である程度の成功を経験したり、コンクールでよい成績を納めたり、盛んに活動する合唱部のある高校に異動できたり。
しかし、先日の日記にも書いたように、ここのところはなんとなく違和感を感じる毎日を送ってきた気がするのだ。たぶんそれは、いろんな夢が叶ったことから慢心して、「努力が実を結んだのだ」と思い込んだことに端を発するのだ。今日、なんとなくそんなことを思った。
努力は実を結ばない。そう思っていた方がよい。なぜなら、実を結んでしまっては、そこで努力が終わってしまうからだ。努力は永遠に続けるべきものだ。ただし、そう思っているとしんどくなる。
結論。努力を永遠に楽しもう。これだな。
いろんな夢が短い期間に形になったため、私は慢心した。普通、夢はいっきに叶わないものだ。紙を一枚ずつ重ねるように、目に見えない形で叶っていくものなのだろう。
まずもって「夢」という言葉がいけないのかもしれないなぁ。「夢」は荒唐無稽であることが多いし。ただし、何かそこにはロマンがある。ロマンに活力を見出すこともあるだろう。まぁ、「夢」という言葉を使うことはよしとするか。
自分への戒めのために。
大きな夢がいっきに叶う事なんて、普通はないのだ。夢は、紙一枚ずつしか叶わないのだ。今日、努力したことの結果が、明日目に見える形で顕れることなんてないのだ。振り返ってみると、紙一枚、重ねられていたのだなぁって、ずっとあとになって気がつく。そんなものなのかもしれない。
ほとんど努力をしていない毎日を繰り返しながら、夢ばっかり大きく持っていても、後でがっかりするだけだ。そして嫉妬し、他人に責任を転嫁し、自分のことを棚に上げて泣き言ばかりを言う。何もやっていないくせに、明日結果が出ることを夢見る。
そんな自分にならないよう、ちょっと基本に立ち返ってみよう。
夢は一度には叶わない。後で振り返ってみて、紙が一枚ずつ重なっていったのだなぁって、そう思うものなのだ。紙を一枚重ねることに、楽しみを感じよう。楽しみながら、ポジティブに毎日を過ごしていこう。ポジティブに努力を重ねてみよう。
[6回]
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2010/09/17 (Fri.)
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指揮者の独り言
2010
09
16
自分の言葉を話せたらいいなぁって、最近すごく思う。
自分の思いを言葉にすることができたらいいなぁ。
自分の、心からの音楽を、真の自分の音楽を、奏でることができたらいいなぁ。
私の言葉は誰かの言葉。私の思いはいつも隅に追いやられて、誰かを真似た音楽が奏でられる。
感じたままに言葉を綴り、思ったままに音楽を奏で、思い描いた場所にふわりと降り立つ。
感じるということ。感じ取るということ。感性。
ここ10年くらい、私はどうも理屈っぽかったな。感じるがままにふわりふわりと飛んでみよう。自分のニガテに向き合うことだけは忘れず、あとはふわりふわりと、世界を感じてみよう。
理屈なんて、どうでもいいや。
[1回]
2010/09/16 (Thu.)
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指揮者の独り言
2010
09
15
私の大好きなオペラのひとつ、『椿姫』。
勤務校2年生の鑑賞教材として、金曜日からショルティー+ガーデン・ロイヤルのLDを鑑賞する。
椿姫の中でどこか一番好きかって、なんと言っても手紙を書き終えたヴィオレッタがアルフレードの追及をかわしながら「さよなら」と言って去っていく場面。
速いパッセージで心の動揺を歌った後、いきなり立派な声でAmami Alfredo!と歌う。SCOREを見ながら鑑賞すると、なるほどこの人は楽譜のこの指示をこのように表現しているのか、と、また新たな視点から受ける感動がある。
歌い手によって表現の仕方は様々で、そこから受ける印象も様々。どの演奏がいいか悪いか、というよりも、どの演奏が好きか嫌いかとなる。
それにつけてもオペラは面白い。オケも声楽も少しずつかじったことがあり、舞台についても微妙に体験してきたし、作曲はそこそこ勉強した。そんな私のこれまでの音楽体験が、私にとってオペラを特別なものにしている。
普段はルネサンス音楽のことばかり考えているので、なかなか突っこんでオペラに傾倒できない事情はあるが、70歳とか80歳とかになって合唱指揮者を引退したら、一年くらいはオペラ三昧で過ごしてみたいなぁなどと考えている。
[2回]
2010/09/15 (Wed.)
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指揮者の独り言
2010
09
14
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
前不見古人
後不見來者
昨日の記事で「違和感」について書いたけれど、勤務校コーラス部での私の1年半は、もしかすると違和感の連続だったかもしれないと、今日、ふと思った。
はじめての女声合唱。
はじめての部活動顧問。
それほど経験がない高校生への歌唱指導。
お手本を追い求めた1年半だった。
ところが、お手本を追い求めすぎた。他校強豪校をお手本にし過ぎたし、選曲も攻めの選曲と思いつつ、奥底では誰かの物真似だったと言い切ってしまってもよい。
生徒たちの力を引き出す努力をして、それについてはかなりの部分でいい線をいっていたという実感を持っているものの、常に何か「変な感じ」を覚えていた。これこそが「違和感」。自分の音楽をやりきれていない違和感。
だからこそ理屈に逃げたのだ。
だからこそ精神論に傾倒したのだ。
ただ、この1年半は無駄ではなかった。
まず、女声のヴォイストレーニングで悩んだ挙げ句、おねいさまを投入。おねいさまからは実に多くのことを教えてもらった。L団での指導にも生きてきている。
また、自分の新たな一面、新たな可能性を発見することができたし、新しい世界に切り込んでいって、その世界に順応する術も若干持っているのだという自信も持てた。
もう迷わない。
自分の前に道が敷かれていなくても、私はずかずかと歩いていく。私には私のやり方がある。あと1~2年、自分がこれまでに十分に経験して自信を持っている部分を思いっきり出していこう。
最近発見できた自分の新たな部分については、ちょっと熟成期間をおいて、数年後にまたふたをあけることにしよう。
生徒のコーラス部での2年半が、人生の中で大きな意味を持つ2年半となる。かけがえのない時間となる。それを約束できる顧問になろう。自分が今までにつけてきた力を、そっくり生徒たちにそそげる顧問になりたいものだ。
[2回]
2010/09/14 (Tue.)
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指揮者の独り言
2010
09
13
最近になってやっとわかりかけてきたこと。
「違和感に気付く能力」を働かせなくてはならないということ。
私はすぐに、「美しいもの」を探してしまう。どこに美しい花が咲いているのか、甘美な香りはどこから漂ってくるのか。どうすればもっと美しい花が咲くのか、どうすればもっと素敵な香りに巡り会えるのか。
私はバラや草花を育てるのが趣味で、かなり没頭してやっている。没頭する原動力となっているのが、「美しさ」を追い求める心であることは間違いない。
そうして「美しさ」を追い求めていると、ちょっとした違和感に敏感になってくる。葉につく虫や病気、土の状態、天候によって左右される植物たちの健康状態。
それらの「違和感」を、毎朝、庭を一通り見回っている際に直感的に察知する。
なぜこの「違和感を察知する目」を、音楽にまで適用してこなかったのか?
たぶん、理屈っぽい私の性格がそうさせていたのだろう。悪い部分をメンバーに説明するためにはああしてこうしなくてはならない。時間をかけて準備しなくては、完璧なものにならない。こういう思いが強くて、間に合わなかったのだろう。
もっと簡単に「違和感」を指摘すればよいのだ。
音がぐちゃっとしたら、「今のところ、おかしい」と指摘すればよいのだ。音が悪いのか、テンポが悪いのか、ディクションが悪いのか、それはその後に確かめればよいのだ。
ただなぁ。
今、L団が取り組んでいる「トーン」については、やはり一朝一夕にはうまくいかないものだ。例外なく、全メンバーがそれぞれに革命をおこさなくてはならない。今までと同じ声を出していては、一歩も前に進むことができないわけだ。
若手が育つのを待つというのも一つの手だけれど、そうしている間に、1年2年はあっという間に過ぎていく。直近の本番には間に合わないのだ。やはり、総力戦で臨むしかない。中堅・ベテランの本気。発声面で革命をおこそうというやる気。これを引き出すしかないなぁ。
トーンとチューンは切っても切れない関係。今できること、できそうなことをたんたんとやる。さぁ、関東大会まで練習はあと5回。
[2回]
2010/09/13 (Mon.)
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指揮者の独り言