2010
10
08
人には苦手なことがある。
私にもたくさんの「ニガテ」がある。克服しようとするやる気が全く起こらないニガテもある。
夢を叶えるために克服しなくてはならない「ニガテ」もある。
思えばこれまでの人生、実に多くの「ニガテ」から逃げてきた。だからこそ、中途半端な自分が今ここにいるわけだ。
ちゃらんぽらんな私ではあるが、仲間が関わる場合には、ニガテと向き合って頑張った経験もある。仲間の中にも、好きな人もいれば苦手な輩もいたけれど、気の合うメンツや尊敬する師匠のために頑張った経験は、何ものにも代え難い宝となっていることは真実だ。
また、ニガテを克服すると、得意分野を伸ばすよりも伸びしろが大きいため、自分の成長を実感することができるものだ。L団は今、喉声矯正プロジェクトを発動しているが、ニガテと向き合い始めた途端、音色が目に見えて変わってきている。それもそのはず。今までふたをしていた部分に光を照らしたのだから、思いも寄らぬ伸びしろを手にしたわけだ。
ニガテと向き合うということ。なんとかしようともがいてみること。リングに上がって戦ってみること。話をしてみること。目をそむけないこと。
好きなこと、得意なこと、好きな人、得意な人のところに逃げていかないこと。
それができないと、また元の木阿弥。気分がすっきりしないまま、楽な方楽な方に逃げ、運に逃げられ幸せが去っていく。ただ漫然と一日を過ごして、面白おかしいことを見つけてはそこに居場所をつくり、そのまま死を待つ人生。長い長い人生。それが、つまらないまま死を待つだけの人生になってしまう。
ニガテと向き合ってみよう。まずは、あれとあれを克服してみよう。
[4回]
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2010/10/08 (Fri.)
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指揮者の独り言
2010
10
03
昨日のL団は、某ホールの音楽練習室。
不思議なことに、多目的ホールのリハーサル室や音楽練習室って、とことん響きがデッドだ。おそらく、防音素材に反響効果を加えた壁を設置してあるのだろうけれど、演奏する側から言えばとにかく響きが悪すぎる。
でも、そんな劣悪な環境であっても、きっとハイレベルな集団であればしっかりとしたサウンドを鳴らすに違いない。逆に言うと、この劣悪な環境で鳴り響くサウンドこそが、われわれの今の力量だと思って間違いない。
今までで一番いい演奏が自分たちの真の実力なのではなく、一番悪い演奏が真の実力なのだ。
劣悪な環境下での演奏は、自分たちの実力を如実にあらわす。生っぽいノド声がしっかり聞こえてしまうし、子音のバラツキがクリアに聞こえてくるし、チューニングの悪い一人の声がピックアップされて響いてしまう。
でも、それが今の我々の実力。
それにしても、まぁまぁまとまった演奏ができたというのは、県大会以降の練習で上積みがあったからこそなのだろう。
さぁ、ないても笑っても来週が本番。本番で頭をからっぽにして音楽に没頭しても、今までやってきたことがしっかり醸し出される音楽になるよう、あと一週間、できることできそうなことをコツコツと続けてみよう。
[0回]
2010/10/03 (Sun.)
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混声合唱団ルックスエテルナ
2010
10
01
「絶対」はない。
「永遠」はない。
サイクルはある。
物事は、良かったり悪かったりを繰り返しながら、前に進んでいくのだ。
ただし、自転車を降りてしまってはそこまでだ。
いいよ。いつでも話を聞こう。私の言葉の中に答えなんて見つからないだろうけれど、話を聞いて一緒にしんみりすることはできると思う。
足を一歩踏み出す。この方法がよくわからないんだよなぁ。俺も知りたい。踏み出せたら最高だね。歩く方法を、そのノウハウを知りたい。
今週は実に多くの悩みを聞いた。惜しむらく、私は十分な答えを持っていない。
未熟だなorz...すまぬ。
[2回]
2010/10/01 (Fri.)
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その他
2010
09
25
午後3時。所用があって勤務校を後にする。愛車の示す気温計は21度。秋の風にあたりたくて、クルマの窓を少し開けると、外の喧噪が耳に飛び込んでくる。
空には重たい雨雲。街の喧噪。
なんだか自分が、水の中の、流れの影響をあまり受けないよどみの深くにいて、ぶくぶくと息をしながらゆったりと休んでいるサンショウウオのような気分になる。
ああ、この感じ。私は思う。この感じは、ことある毎に思い出す、あのときの大気の雰囲気に似ている。
それはまだ私が幼稚園にあがる前のこと。母に連れられて、電車で数駅の街にある人の御見舞にいったときのこと。私の田舎にある黒磯駅は、そこから南に向かう電車と北に向かう電車とでは、種類が違っていたが、その日は北に向かう茶色い電車に乗った。
駅を降り、果物屋で御見舞のためのフルーツを母が買う。ついでに棒チョコを買い与えられた私は、思いもかけないご褒美にご満悦であった。
あのときの空、あのときの大気と、今日のこの空気は同じだ。湿度、風、街の喧噪。そっくりだ。
思えば私は今までに何度も、あの日の大気と似た空気を見つけては、「ああこの感じ」と思ってきたものだった。20数年前、高校生のときにはそのことを学級日誌に綴ったこともあった。
35年以上前の日のことを、たった10分かそこらの時間、外の空気にふれただけでこうして思い出す。ノスタルジーに包まれつつ思い出す。
なんとも素敵なことだ。思い出している間、私の心はとても満ち足りていて、肩の力が抜けて心地よい時間が流れる。
そして思うのだ。
心のすそを広げながら歩き、心にあたる風を敏感に感じながら、もっともっと、センスを磨いて外の世界を感じよう、と。
感じる心を磨いていこう。感性を磨いていこう。考えるよりも、感じる男になろう。
[4回]
2010/09/25 (Sat.)
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その他
2010
09
20
受験戦争まっただ中の3年生。愛する3年生。
君たちは今、前後左右見渡す限り、陸地など見つけることの出来ない大海原にポーンと投げ出された。大人になるための最初の関門をくぐり抜けるため、母なる大地から遠ざかるため、一人海の上に筏を浮かべている。
そこで何をするべきか。
黄金の国ジパングを夢見て波に揺られるか。絶対にまっすぐしか進まないと決めてかかって、ただただ直進するのか。
それとも自分が置かれた状況をよく理解し、今やってきた波、今吹いている風を柔軟にかわし、利用しながら、舟をこぎ、帆を張る準備をし、昼に食べる魚のために釣り糸を垂らすべきなのか。
絶不調の自分がいるとする。絶不調の自分を想定してみよう。模試でケアレスミスをし、まぐれで正解できた問題がひとつもなく、得意科目すらミス連発で思うような点が取れない。それが今の自分のレベルだ。そこが今の0地点。その0地点から一歩進むためにはどうすればよいのか。これこそが、勝利を掴むための正攻法だ。0を1にすること。これの積み重ね。
0地点にいて、100歩先のことを夢見ても、辿り着くことはまずできない。絶対に100歩先にいくのだと頑なになってみても、心が固くなって一歩が踏み出せずに終わってしまうことが多いものだ。
一歩進んでみてはじめて、その地点に吹く風にあたることができる。そのときに、方向修正をすることもできる。100歩先の夢が大きく変わることだって大いにある。
一歩を踏み出すことを夢見よう。一歩を描き続けよう。筆をさしてみたら色がにじんでしまった。そうしたらまた別の色にと方向修正してみよう。
数ヶ月後、辿り着いた先が、島とすら呼べない岩の塊だったということもあるだろう。あるいはまた大海原に舞い戻る選択肢だってあるかもしれない。それでも、また一歩を漕ぎ出す勇気さえあれば、必ずや君の陸地に辿り着く。
大海原に一人きり。つらいつらい日々が続くはず。だけど、一歩ずつ進んでいくうちに舟をこぐかいを手に入れ風を受ける帆を手に入れることがあるだろう。すると航海も楽しくなるものだ。途中、嵐に遭うかも知れない。海賊船に遭遇するかもしれない。そんなときは、逃げずに戦ってみよう。
そして、どうしてもダメなときは、音楽室・準備室に来て、ため息を吐き出していくこと。
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今日は、愛する3年生の引退式だった。
だめだなぁ。花粉がひどくて、涙が出てしまったな。。。しかし、楽しいひとときだった。
[6回]
2010/09/20 (Mon.)
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