2010
12
21
2010
12
13
ここの存在を
ここの存在を忘れたわけではない。
しかし、最近、
あまりにも困難なこと、悲しいこと、
やりきれないこと、どうにもならないこと、
失敗、事故、とばっちり。
いろいろありすぎる。
きっと今は、逆流の時なんだろう。
こんなときは、流れに身を任せて
滝壺の底まで落とされて、
息を止めてじっと我慢するしかない。
今回の逆流は、きっと長いなぁ。
3年?
我慢だなぁ。
我慢だ。。。
2010/12/13 (Mon.) Comment(0) 指揮者の独り言
2010
10
24
ポリーニ ベトベ後期ソナタ
於:サントリーホール
もろもろの事情で今日はB席。右斜め上付近。
ポリーニ。若干、腰がまがったおじいちゃんになっていた。袖から登場した姿を見て、涙が出そうになった。20年ほど前、大学の先生の家に遊びに行った際に見せてもらった、ルドルフゼルキンのレーザーディスクを思い出す。腰の曲がった、歩様のあやしいゼルキンだが、ピアノはシャンと弾いていた。それに似た光景が、今目の前に。。。
そうだよなぁ。俺もそろそろ四十歳。ポリーニも歳を取るわけだ。
ポリーニ、おじぎをしてピアノに座るやいなや弾き始める。30番の軽やかな第一主題が、ショパンのように聞こえる。30番、31番、32番と休憩なしのコンサート。あっという間の1時間とちょっと。アンコールのバガテルを含め、素晴らしい音楽を満喫させてもらった。
サントリーホールの照明が、ポリーニが持ち込んだピアノと彼の周囲にだけあたる。ポリーニは、ヒトという存在を通り越して、もはや「音楽」そのものになっていた。私はステージにポリーニを観ていたのだろうか?それとも音楽を見ていたのだろうか?ポリーニというピアノ弾きから奏でられるベートーヴェンの後期ソナタ。なぜだか私は、ポリーニを聴いているという意識ではなくなってしまっていた。
そこにあったのは、音楽そのものだ。ベートーヴェンでもなく、ポリーニでもなく、音楽そのものがそこにはあった。
私がイメージするベートーヴェンとは、また若干異なる味わいのベートーヴェン。私がイメージするポリーニとは、2~3ミリずれた感じのポリーニ。この違和感が私の心に革命を引き起こす。
脳みそではなく、心が音楽を受け止めた感じ。今日のポリーニのベートーヴェンは、ひと言で言えばそんな音楽であった。
ただ、未だによくわからない。今日私はポリーニを聴いたのか、それとも、音楽を聴いたのか??
ああ。私も、音楽そのものになりたい。生まれ変わるなら、音楽に生まれ変わりたい。
2010/10/24 (Sun.) Comment(0) コンサートレビュー
2010
10
20
部活再開
やっと部活再開。
いろいろと仕事があり、開始時刻には間に合わなかったが、準備室に戻るとすでに部員たちによる発声練習が始まっていた。
なぜだろう。準備室で、隣の音楽室からきこえる生徒たちの歌声を聴いていると、何か心にこみあげるものがある。それは、真剣な練習の声だったり、遊びでハモる声だったり、黙々と取り組む個人練習だったり、種類はいろいろだが、その声に何度癒され、何度泣かされたことか。
私にとって歌声とは、心が帰っていくべき「巣」のようなものなのかもしれない。
今思い出したことがある。小学生も高学年になった頃、どうしても母親が歌う子守歌「ねんねんころりよ」が聴きたくて、母に歌うようせびったことがあった。困惑しながら母は歌ってくれたが、あのとき私は、自分が乳児の頃の母の歌声の記憶を辿っていたはずだ。
ノスタルジー。
周りの世界のあらゆる音は一切聞こえない。母の歌う子守歌だけが聞こえる。ほどよく抑制の利いた、息混じりのピアニッシモ。温もり。安心感。
私の中の音楽の原点は、ひょっとすると母の歌う子守歌だったのかもしれない。
音楽室と壁一枚隔てて聞こえてくる歌声が、何らかのフィルターを通して、私の原体験を呼び覚ましているのだろうか。とにかく、私は音楽室からきこえてくる歌声に、メロメロに弱い。
ところが不思議と、音楽室で間近で彼女達の声に接すると、もう現実しか見えなくなるのだ。音楽に本気で取り組もうとする意識が、鬼のような感情が、むらむらと盛り上がってくる。
自分でもわけがわからない。
とにもかくにも、部活再開だ。明日からは、授業も再開だな。
2010/10/20 (Wed.) Comment(0) 勤務校
2010
10
19
フランソワ・ジュランヴィル
リビング前のメインガーデンに植えた3つのバラのひとつ、グラハム・トーマスの具合が思わしくない。
夏頃、枝が一本、枯れ上がったのを皮切りに、樹勢がすっかり弱まってしまった。今、秋の花を一輪だけ咲かせているが、その花も小さくてなんとなく弱々しい。
カミキリムシの被害なのが、あるいはガンシュが隠れているのか、株元にはたくさんの草花が育っているのでよくわからない。真剣に原因を探ればきっとわかるのだろうけれど、あんまり時間が取れない中、薔薇の根元をいじると必ずといっていいほどその刺にやられてしまうので、これまたモチベーションがあがらない。
そこで、このグラハム・トーマスは秋の終わりに鉢上げすることに決めた。そこでじっくり原因を探ってみよう。
そして、同じ場所に今度は別のつるバラを植えようと思い立つ。
あれこれ悩んだ末に決めたバラ。それが『フランソワ・ジュランヴィル』だ。ピンクのつるバラ。難波光江さんの本を読んでから、いつかはこのバラを育てたいと思っていた。
さきほど、大苗をネットで予約。たぶん、遅くても年明けくらいには苗が届くはず。
なんだかここのところ、ずっと気分が晴れない。
いろいろな失敗や敗北やトラブルが襲いかかり、仕事も忙しく、土日に息抜きができない。もちろん、そんな状況下においても、楽しいことや癒されることはあって、それらを糧になんとかやっている。明日からは、定期テスト期間で休止していた部活も再開されるので、生徒たちの笑顔に接して元気をもらうことができるだろう。
きっと私は今、スランプなのだ。
スランプは、入念な準備と、基礎基本に立ち返った実践と、きっちりと後片付けをするという、何の変哲もないルーティーンワークをこなすだけで案外早く抜け出すことができるものだ。経験上、そのことはよくわかっている。
わかっているけれど、心が弱まっていると、何かにしがみつきたくなる。
ああ。強くなりたい。
早く、フランソワ・ジュランヴィルの苗が届かないかなぁ。。。
早く春にならないかなぁ。。。
2010/10/19 (Tue.) Comment(0) その他
