2008
09
03
Cibavit eosを音楽の外側から切る その2
前回の記事では、Cibavit eosとパレスチナ問題を無理矢理結びつけました。今回も、ある意味、無理の多い方法でこの曲を外側からアプローチしてみようと思いますσ(^◇^;)。
08年度連盟課題曲(G1)Cibavit eosの作曲者は、ウィリアム・バードです。彼についてのウィキペディア記事はこちら。
トリエント公会議の時代に生まれ活躍したイギリスの作曲家。公会議の取り決めにのっとった作曲者の代表はパレストリーナですが、バードもカトリック信者として、ちゃんとのっとっています。ただし、どこか奔放な空気もある。このあたりがバードのステキなところです。
彼の音楽を演奏するにあたっては、私個人としてはどうしても、パレストリーナの音楽とはちょっと区別したくて、何かしらの工夫を施したいと考えています。
ところで、先ほど彼の音楽には、「どこか奔放な空気」があると申し上げました。上質、ソフィスティケートされた音楽、テキストの内容がはっきりと聞き取れる音楽構造、それらはローマ楽派、パレストリーナ楽派の音楽の真髄ではありますが、バードの音楽にはそれプラスαがあります。その「α」の正体は何なのでしょうか?
私はその正体は、「イギリス」という国にある、と思っています。イギリスに生きたバードだからこそ、音楽にそうした息づかいが付加されたのだろうと考えるわけです。
では、バードが活躍した時代のイギリスはどんな時代だったのでしょうか?このあたりを、女王で切ってみようと思います(^.^)b
バード青年時代のイギリス女王はメアリ1世でした。

メアリ1世は、イギリス最初の女王ですが、その即位は波乱含みです。血を流す波乱。そして彼女は敬虔なカトリック信者でしたが、政策のためプロテスタントの流れになっていた当時のイギリスを再度カトリックに戻し、次々とプロテスタントの指導者を処刑します。そのため彼女の異名は「ブラッディ・メアリ」となり、その異名を由来とするカクテルが後年、生まれました。
次に即位した女王はエリザベス1世。彼女もまた興味深い女王です。彼女はメアリと違ってプロテスタントでしたが、カトリックのバードを寵愛しました。バードの音楽が現在たくさん残されているのは、エリザベス女王のおかげと言ってもいいでしょう。

エリザベスは結婚をしなかったため、バージニアの異名を持っていますが、実際には恋をたくさんした女王で、それを政治の具に使った節もあります。このあたりはたくさんの研究書が世に出ていますのでそちらに譲りますが、音楽史的に重要なのはなんと言っても、バードを寵愛した、ということです。
バードはそのため、イギリス国教会のためにたくさんの音楽を書いています。それと同時に、カトリックのミサ曲も書き残し、有名な3つのミサはどうやら、カトリックのために書いたものであるという説が主流のようです。ちなみにイギリス国教会は単なるプロテスタントとは違って、政治的意図によるところが大きかったこともあり、ミサはラテン語テキストで行われていました。
イギリスはエリザベス以降、海を制して長い間世界一の大国になります。イギリスが「伝統」を重んじるのは、そうした過去の栄光によるプライドが多分にあると思うのですが、バードの音楽はイギリスの「伝統」の一つにさえ数えられるほど、イギリス人にとっては大切なものであるようです。
で、これらのことを考慮に入れた上で、私がバードの音楽を演奏するにあたって留意していることは以下の通りです。
・ローマのパレストリーナと比べると、バードは辺境の地に住んでいた。(→ちょっとした奔放さはここからか?)
・メアリ、エリザベス、二人の女王の統治下で、バードの宗教心がどのように揺れ動いたのか、想像に絶するところがある。(→彼の音楽の髄に見られるメランコリックな流れはここにも端を発するのか?)
・バードの音楽は、その後のイギリスの隆盛と相まって、超一流の伝統的音楽と昇華されていった。(ソフィスティケートされた音楽の薫り)
バードの音楽を歌った後に、イギリスについて、イギリスの歴史について、呑みながら語るのも面白そうです。音楽の愉しみは、こんなところにもあります(*^_^*)
08年度連盟課題曲(G1)Cibavit eosの作曲者は、ウィリアム・バードです。彼についてのウィキペディア記事はこちら。
トリエント公会議の時代に生まれ活躍したイギリスの作曲家。公会議の取り決めにのっとった作曲者の代表はパレストリーナですが、バードもカトリック信者として、ちゃんとのっとっています。ただし、どこか奔放な空気もある。このあたりがバードのステキなところです。
彼の音楽を演奏するにあたっては、私個人としてはどうしても、パレストリーナの音楽とはちょっと区別したくて、何かしらの工夫を施したいと考えています。
ところで、先ほど彼の音楽には、「どこか奔放な空気」があると申し上げました。上質、ソフィスティケートされた音楽、テキストの内容がはっきりと聞き取れる音楽構造、それらはローマ楽派、パレストリーナ楽派の音楽の真髄ではありますが、バードの音楽にはそれプラスαがあります。その「α」の正体は何なのでしょうか?
私はその正体は、「イギリス」という国にある、と思っています。イギリスに生きたバードだからこそ、音楽にそうした息づかいが付加されたのだろうと考えるわけです。
では、バードが活躍した時代のイギリスはどんな時代だったのでしょうか?このあたりを、女王で切ってみようと思います(^.^)b
バード青年時代のイギリス女王はメアリ1世でした。

メアリ1世は、イギリス最初の女王ですが、その即位は波乱含みです。血を流す波乱。そして彼女は敬虔なカトリック信者でしたが、政策のためプロテスタントの流れになっていた当時のイギリスを再度カトリックに戻し、次々とプロテスタントの指導者を処刑します。そのため彼女の異名は「ブラッディ・メアリ」となり、その異名を由来とするカクテルが後年、生まれました。
次に即位した女王はエリザベス1世。彼女もまた興味深い女王です。彼女はメアリと違ってプロテスタントでしたが、カトリックのバードを寵愛しました。バードの音楽が現在たくさん残されているのは、エリザベス女王のおかげと言ってもいいでしょう。

エリザベスは結婚をしなかったため、バージニアの異名を持っていますが、実際には恋をたくさんした女王で、それを政治の具に使った節もあります。このあたりはたくさんの研究書が世に出ていますのでそちらに譲りますが、音楽史的に重要なのはなんと言っても、バードを寵愛した、ということです。
バードはそのため、イギリス国教会のためにたくさんの音楽を書いています。それと同時に、カトリックのミサ曲も書き残し、有名な3つのミサはどうやら、カトリックのために書いたものであるという説が主流のようです。ちなみにイギリス国教会は単なるプロテスタントとは違って、政治的意図によるところが大きかったこともあり、ミサはラテン語テキストで行われていました。
イギリスはエリザベス以降、海を制して長い間世界一の大国になります。イギリスが「伝統」を重んじるのは、そうした過去の栄光によるプライドが多分にあると思うのですが、バードの音楽はイギリスの「伝統」の一つにさえ数えられるほど、イギリス人にとっては大切なものであるようです。
で、これらのことを考慮に入れた上で、私がバードの音楽を演奏するにあたって留意していることは以下の通りです。
・ローマのパレストリーナと比べると、バードは辺境の地に住んでいた。(→ちょっとした奔放さはここからか?)
・メアリ、エリザベス、二人の女王の統治下で、バードの宗教心がどのように揺れ動いたのか、想像に絶するところがある。(→彼の音楽の髄に見られるメランコリックな流れはここにも端を発するのか?)
・バードの音楽は、その後のイギリスの隆盛と相まって、超一流の伝統的音楽と昇華されていった。(ソフィスティケートされた音楽の薫り)
バードの音楽を歌った後に、イギリスについて、イギリスの歴史について、呑みながら語るのも面白そうです。音楽の愉しみは、こんなところにもあります(*^_^*)
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2008/09/03 (Wed.) Trackback(0) Comment(0) 宗教曲
