2009
11
01
昨日は9時から13時まで勤務校の部活。
発声面をテコ入れ中。ずいぶん伸びてきているけれど、まだまだ白い紙にアタリをつけはじめた段階。色を塗るまではいかない。道のりは険しいけれど、部員全員が真摯な態度で取り組んでくれているので、きっと早い段階で色を塗り始めることができるだろう。
練習している曲はパレスリーナのミサ。パレストリーナにしては和声的に未成熟な部分のある音楽ではあるけれど、一昨年くらいからもっぱらバードばかりを聴いていたのでなんだか新鮮でいい。
やはり、私にとってルネ物の原点はパレストリーナだ。
部活後、3年生が準備室に遊びに来ておしゃべり。おっとっと、かなり長いこと息抜きさせてしまった(;^_^A 大学時代、数ヶ月体験した堕落期間をしゃべってみたり。みかも山に向かって美しくハモる3年生を、名残惜しくも撤収させてから移動。
夕方からはL団。練習曲はタリスのエレミア。やはり理想の音楽への道のりは険しい。ピーター先生がおっしゃるように、音楽性よりもチューニングが先なんだなぁ。微妙にチューニングが狂うだけで、音楽がものすごく貧弱になる。ということは、チューニングさえしっかりさせれば、音楽は9割方、あるいはそれ以上、できあがるのだ。
音楽性なんて、残りわずかの部分に組み入れられるかどうか。その残りわずかの部分で勝負できる人こそ、天才なのだろう。
俺は天才じゃないから、まずはコツコツとやるしかない。
ところで最近、私はなんだかくたびれているσ(^◇^;) もはやただのオヤジと化している。
筋トレもさぼっていて体脂肪率は16%を上回っているし、庭のバラ園にセイタカアワダチソウが咲いてしまっても、まぁ秋だからいいか、なんて一瞬思ってみたり。バイオリンなんて・・・。ああ、ダレ気味だな。
今日から11月。
まずは筋トレから再開してみよう♪

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2009/11/01 (Sun.)
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宗教曲
2008
09
05
平成20年合唱コン課題曲(G1)、Cibavit eos関係のエッセイもこれで3回目。今回は『ニニギとSpiritui Sancto』について書いてみます。ちなみに、このブログを書く時間帯はたいてい酔っぱらってますので、まとまらない文章になってしまっています。ご容赦をσ(^◇^;)
さて、Cibavit関連記事第1回目で「ヤコブは神道のニニギにあたるという説」があると書きました。具体的に言うと、アブラハムの宗教の重要人物ヤコブと我が国の神道の重要人物ニニギは、実は同一人物なのではないかという説があるのです。これについてはいくつか書物が出ていますが、概要はこのサイトが詳しいと思います。
日本には渡来氏族が存在したわけだから、古代の日本にユダヤ文化が入った可能性は皆無とは言えないでしょうし、文化の交流というのは、とんでもないところから繋がるケースも多いわけで、ヤコブとニニギが同一人物であっても不思議ではないのですが、やはりそんな話を聞くと「おおー!」と思います(^^)
ちなみにヤコブとは、創世記に登場する人物でアブラハムを祖父に持ちます。アブラハムとは、言わずとしれた聖書の預言者で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つの宗教は、彼の宗教的伝統を受け継いでいると言われています。モツレクなどを歌ったことのある方は、OFFERTORIUMに出てくる歌詞、「quam olim abrahae」という部分で彼の名前を唱えたことがありますね(^^)

ニニギとは、天照大神を祖父に持つ農業の神。このニニギに関する逸話が、ヤコブに関する逸話と酷似しているというわけです。

↑ニニギの祀られている霧島神社(鹿児島県)
なるほど話としてはとても興味深いし、研究書を読むとうーんなるほどと思います。ただ、私はそういうことは研究者にとことん研究してもらって、自分自身はその研究経過を書物で読んで楽しむだけでいいと思っています。そしてそういった研究があることを知ることで、Cibavit eosを歌うにあたって様々な妄想(笑)を頭に駆け巡らすことができ、いさぎよく歌を歌うことができる。そう思っているのです。
ところでCibavit eosのテキストに「Spiritui Sancto」という言葉が出てきます。これは「聖霊」と訳されます。『聖霊』とはキリスト教における三位一体、即ち、父(神)と子(キリスト)と聖霊というペルソナの一つで、三位一体説を真とする宗派にとっては神と同格である存在です。なお、私も未だに混同して物を言ってしまうことがありますが、「天使」とは全く別物です。「天使」は「精霊」(聖霊ではなく)という言葉とは同格として扱っていいと思いますが、聖霊と天使は別格。
Spiritui Sancto。聖霊とはいったいなんでしょう?
私は、「神の御心」または「神の意志」だと解釈しています。マリアは聖霊によって身ごもります。聖霊とは神の意志。新約聖書が神の御心をあらわすとされるのは、それを語った使徒たちの魂に聖霊(神の意志)が入り込んでいたからだ、とされています。この『聖霊』という考え方。なかなか興味深い考え方です。
で、私はヤコブとニニギのつながりも、実はそのつながりの源は聖霊にあるのではないかと考えてみるのです。
人は神話を生み出し、そこから宗教が芽生えて人々の栄光を支えてきました。神という存在がどんな形であり、その実体はどんなものでこれから神によって何が行われるのか、私にはよくわかりませんが、漠然とその存在を感じてはいます。その神の意志が、時間や空間を超えて、人々に似たような神話を作らせたのかもしれません。
だから私は、キリスト教信者ではありませんが、Cibavit eosを胸を張って歌うのです。宗教という枠を超えた神が、全てを超越した存在がこの世界には存在し、人々の心を支えている。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、そして神道、話題には出していませんがそれプラス仏教。キリスト教の音楽を歌いながら、私はこれらの宗教を思うわけです。いや、宗教を思うというのは間違った言い方でした。全てを超越したところに存在する神を思うわけです。
私が恥ずかしげもなく、「世界が平和になりますように」という思いを抱きながらこの曲を歌えるのは、実はこうした考えからです。まずは歌う我々が気分よく歌えますように。歌いながら感動することができますように。そして、その感動を、どうか客席の方々にも感じてもらえますように。
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2008/09/05 (Fri.)
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宗教曲
2008
09
03
前回の記事では、Cibavit eosとパレスチナ問題を無理矢理結びつけました。今回も、ある意味、無理の多い方法でこの曲を外側からアプローチしてみようと思いますσ(^◇^;)。
08年度連盟課題曲(G1)Cibavit eosの作曲者は、ウィリアム・バードです。彼についてのウィキペディア記事はこちら。
トリエント公会議の時代に生まれ活躍したイギリスの作曲家。公会議の取り決めにのっとった作曲者の代表はパレストリーナですが、バードもカトリック信者として、ちゃんとのっとっています。ただし、どこか奔放な空気もある。このあたりがバードのステキなところです。
彼の音楽を演奏するにあたっては、私個人としてはどうしても、パレストリーナの音楽とはちょっと区別したくて、何かしらの工夫を施したいと考えています。
ところで、先ほど彼の音楽には、「どこか奔放な空気」があると申し上げました。上質、ソフィスティケートされた音楽、テキストの内容がはっきりと聞き取れる音楽構造、それらはローマ楽派、パレストリーナ楽派の音楽の真髄ではありますが、バードの音楽にはそれプラスαがあります。その「α」の正体は何なのでしょうか?
私はその正体は、「イギリス」という国にある、と思っています。イギリスに生きたバードだからこそ、音楽にそうした息づかいが付加されたのだろうと考えるわけです。
では、バードが活躍した時代のイギリスはどんな時代だったのでしょうか?このあたりを、女王で切ってみようと思います(^.^)b
バード青年時代のイギリス女王はメアリ1世でした。

メアリ1世は、イギリス最初の女王ですが、その即位は波乱含みです。血を流す波乱。そして彼女は敬虔なカトリック信者でしたが、政策のためプロテスタントの流れになっていた当時のイギリスを再度カトリックに戻し、次々とプロテスタントの指導者を処刑します。そのため彼女の異名は「ブラッディ・メアリ」となり、その異名を由来とするカクテルが後年、生まれました。
次に即位した女王はエリザベス1世。彼女もまた興味深い女王です。彼女はメアリと違ってプロテスタントでしたが、カトリックのバードを寵愛しました。バードの音楽が現在たくさん残されているのは、エリザベス女王のおかげと言ってもいいでしょう。

エリザベスは結婚をしなかったため、バージニアの異名を持っていますが、実際には恋をたくさんした女王で、それを政治の具に使った節もあります。このあたりはたくさんの研究書が世に出ていますのでそちらに譲りますが、音楽史的に重要なのはなんと言っても、バードを寵愛した、ということです。
バードはそのため、イギリス国教会のためにたくさんの音楽を書いています。それと同時に、カトリックのミサ曲も書き残し、有名な3つのミサはどうやら、カトリックのために書いたものであるという説が主流のようです。ちなみにイギリス国教会は単なるプロテスタントとは違って、政治的意図によるところが大きかったこともあり、ミサはラテン語テキストで行われていました。
イギリスはエリザベス以降、海を制して長い間世界一の大国になります。イギリスが「伝統」を重んじるのは、そうした過去の栄光によるプライドが多分にあると思うのですが、バードの音楽はイギリスの「伝統」の一つにさえ数えられるほど、イギリス人にとっては大切なものであるようです。
で、これらのことを考慮に入れた上で、私がバードの音楽を演奏するにあたって留意していることは以下の通りです。
・ローマのパレストリーナと比べると、バードは辺境の地に住んでいた。(→ちょっとした奔放さはここからか?)
・メアリ、エリザベス、二人の女王の統治下で、バードの宗教心がどのように揺れ動いたのか、想像に絶するところがある。(→彼の音楽の髄に見られるメランコリックな流れはここにも端を発するのか?)
・バードの音楽は、その後のイギリスの隆盛と相まって、超一流の伝統的音楽と昇華されていった。(ソフィスティケートされた音楽の薫り)
バードの音楽を歌った後に、イギリスについて、イギリスの歴史について、呑みながら語るのも面白そうです。音楽の愉しみは、こんなところにもあります(*^_^*)
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2008/09/03 (Wed.)
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宗教曲
2008
09
02
全日本合唱連盟のコンクール課題曲(G1)、今年はW.Byrdの『Cibavit eos』。
この曲は、三位一体の主日直後の木曜日にあたる「キリストの聖体」祭日の入祭唱です。キリストの体はホスチア(パン、ウエハースのようなもの)としてミサで会衆に与えられますが、そのキリストの体を祝う祭日の入祭唱として、歌詞に「極上の麦」を含み、さらには、三位一体の歌詞をも持つCibavit eosは、まさにこの日のためにあるような音楽です。
ただし、現代人、日本人にとっては、例え信者であっても、この歌詞の核心に迫ることは難しい。テキストのどこに思いを込めればよいのか、一見しただけではわかりにくくて難しい曲です。
とは言え、テキストにいくら思いを込めても、それが聴き手に伝わる保証はありませんし、第一、テキストを表現しようとして何かアクションを起こすと大抵は失敗するもの。結局はしっかりと基礎練習を積み、しっかりハモってしっかりテンポを共有するのが、音楽を美しく演奏する近道であることは間違いありません。
音楽について勉強したアレコレは、演奏した後、興味を持ってくれた聴衆とのおしゃべりで語り合うのがいいのかもしれません。その会話の中身が、未来の世界平和に微妙につながっていく可能性だってあります(^^)
ところでCibavit eosを演奏するときは、私は常に「パレスチナ問題」を思います。パレスチナ問題は、非常にやっかいであり、世界的に重要な問題であり、これが解決することなんてあるの???っていうくらい複雑な問題です。その「パレスチナ問題」を常に頭の片隅に置きながら演奏しています。
なぜ私は、「パレスチナ問題」を思いながら演奏をするのでしょう?
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ここにCibavit eosのテキストを書いてみます。
Cibavit eos ex adipe frumenti
alleluja:
et de petra, melle saturavit eos,
alleluja,alleluja,alleluja.
Exsultate Deo adjutori nostro:
jubilate Deo Jacob.
Gloria Patri et Fillio, et Spiritui Sancto,
sicut erat in principio, et nunc, et semper,
et in saecula saeculorum. Amen.
3つのくだりがあって、最初は神が極上の小麦や岩から滴る蜜で人を潤してくれたことが書かれており、中間部は神をとびあがって喜び讃えようということが書かれ、最後のくだりは三位一体を声高らかに唱えます。
最初の部分は、旧約聖書に似たような記述が認められます。二番目のくだりに出てくる「ヤコブ」はユダヤ人の祖。ちなみにヤコブは神道のニニギにあたるという説もあります。そして最後の三位一体は、キリスト教の考え方の一つです。この歌に出てくる「Deo」(神)は、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の神を表すはずです。
ユダヤ教の神は部族神ですから、ユダヤ人のみを助けようとしますが、キリスト教やイスラム教の神となるとちょっと様相が異なってくる。このあたりの詳細については触れませんが、この「Cibavit eos」の歌詞を読むと、どうしてもこの3つの宗教を私は考えてしまいます。
そして、3つの宗教の抱える問題の代名詞は何かというと、それは「パレスチナ」だというわけです。
パレスチナ問題が解決すれば、世界の戦争の大半は終結するかもしれません。あとは、民主主義対社会主義あるいは独裁政権との戦争だけが残る!?とにかく、パレスチナ問題抜きに世界の平和は語れません。
パレスチナ問題についてとっても読みやすく書かれている本があります。講談社現代新書の『まんがパレスチナ問題』です。
Cibavit eosを歌いながら、パレスチナ問題についていろいろと思いを巡らせています。宗教が長い歴史の中で数え切れないほどの人々を支え、どれだけの人を幸せにしてきたのかを考え、宗教の抱える問題を考え。。。
歌っている最中に、ときどきゾクゾクっと感動する部分もあります。われわれが奏でる音楽によって聴衆が一瞬でも感動し、それによってその人の生活の一コマでいいから、幸せ色に変えることができたら。そんな思いで歌っています。
そして家に帰ったらパレスチナ問題について調べ、勉強し、私のこれからにどう結びつけるのがよいのか、酒を飲みながら考えたりするわけです。
[0回]
2008/09/02 (Tue.)
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