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没後120年ゴッホ展
渋谷に出張。思いの外、かなり早く用が済んだため、六本木まで足を伸ばして国立新美術館でゴッホ展を鑑賞。
私はゴッホの絵が大好きというわけではないが、デッサンの修行をしっかり積み、色遣いについて研究し、がむしゃらに絵の世界に没頭していったその生き様には打たれるところあって、絵よりもむしろ生き様に尊敬の念を抱いている画家だ。
ゴーギャンに自画像の「耳」がおかしいと言われ、自分の耳を切り落としたエピソードなど、ゴシップ的にも興味深い画家。
「自画像」や「ひまわり」(今回のゴッホ展にひまわりは皆無だった)よりも、「薔薇と芍薬」の方が好きだし、種をまく人的な地味なデッサンの方に時間をかけて鑑賞してしまう私は、きっと感性が一般的ではないのだろうなぁ、これでは私の音楽ももしかして、一般的な感性とはかけ離れたものなのかもしれないなぁ、などと思いながら絵を見て回る。
ところで、今回のゴッホ展でもっとも心に残った絵は、『サン=レミ療養院の庭』だ。精神病院に幽閉されたゴッホがその病院の中庭を描いたもの。耳を切り落として精神病扱いにされて入院させられたゴッホではあるが、そのタッチと色遣いの実に自由闊達なこと。
画家として、完成度の高さに満足したのだろう、「Vincent」ときちっと署名を入れている。
この署名に私は心を打たれた。
どんな環境下・精神状態においても、自分の作品に妥協をしない心意気。傍目には精神を病んでいようとも、芸術を追究しようとする心。
その心を充たしたのであろう。だからこそ、絵に署名をしたのだ。
私と言えば、常に自分の音楽に妥協をしている。メンバーにきつい要求をしては心が離れていくかもしれないって恐れたり、これ以上を極めるにはきっと自分の技量が足りていないとあきらめてみたり。
だから三流のままで上のステージに行けないのだろう。
私が三流のままでは、メンバーもいい思いもすることはできない。せめて、もう少し上のステージへ!
ゴッホが「Vincent」とサインを入れたくなる絵のような、そんな音楽を私も奏でてみたい。
2010/10/18 (Mon.) Comment(0) その他
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